背景
個々の生物は、多様な生存戦略をとっています。たとえば、食性や生息域といった、個体が生存する上で基盤となる環境も、種によって大きく異なります。さらには、生物の成長や個体機能は、共生する様々な微生物の影響も受けます。しかし、これまでの分子生物学では、実験室での単一環境下における限られたモデル生物種が対象とされており、生存戦略の多様性や自然界での生物種間関係については目を向けられていませんでした。私達は、近年発達してきたマルチオミクス技術を活用して、非モデル生物種や野外採取したサンプルを用いた解析も行うことで、栄養環境への適応機構や、宿主機能を支える共生微生物の作用機構の解明を目指しています。
研究課題
現在、主に (1) と (2) の研究課題が進行中です。研究に参加して頂ける新規メンバー(学部生・大学院生・ポスドク)を募集しています。興味のある方は、服部までお気軽にご連絡ください(yhattori■lif.kyoto-u.ac.jp:■は@に、全角の.は半角にしてお送り下さい)。
(1) 栄養環境への適応機構とその多様性の理解
栄養は、生物の成長や生命の維持にとって不可欠であり、何を食べるか、つまり食性は、進化の過程で各生物が周囲の環境と相互作用しながら獲得してきた性質の一つです。この食性の幅の違いから、動物には様々な物を食べる広食性種と、特定の物のみを食べる狭食性種が存在します。しかし、狭食性種の多くは非モデル生物で解析が進んでおらず、これまで生物種間で栄養への適応機構にどのような違いがあるかについては、不明な点が多く残されていました。そこで、食性が異なるショウジョウバエの近縁5種に着目し、遺伝子発現及び代謝産物の網羅的解析によって、異なる栄養バランスへの適応能力と生体応答を比較しました。その結果、広食性種は、餌に含まれる炭水化物の比率に応じて遺伝子発現や代謝を制御する機構(TGF-b/Activinシグナル伝達経路)の働きによって、異なる栄養バランスに柔軟に適応できるのに対し、狭食性種ではこのような機構が機能せず、高炭水化物条件下で成長できないことを明らかにしました(Watanabe et al., Cell Reports, 2019; Watada et al., Genes to Cell, 2020)。さらに、ショウジョウバエの広食性種では、高炭水化物食への適応に複数の機構が関与する可能性が示唆されました。そこで、現在、その機構の一つとしてヒストン修飾酵素に着目し、エピゲノム制御が適応を支えるメカニズムの解析を進めています。また、栄養適応機構がオスの生殖機能に果たす役割の解析も行っています。
本研究は、現在、科研費学術変革領域研究(A)「個体の細胞運命決定を担うクロマチンのエピコードの解読」(領域略称名「細胞運命コード」)と科研費基盤Cの支援を頂いて進めています。
主要な関連業績
- Kaori Watanabe, Yasutetsu Kanaoka, Shoko Mizutani, Hironobu Uchiyama, Shunsuke Yajima, Masayoshi Watada, Tadashi Uemura,* and Yukako Hattori.*†
Interspecies Comparative Analyses Reveal Distinct Carbohydrate-Responsive Systems among Drosophila Species.Cell Reports, 28(10) 2594-2607 (2019).
*corresponding author, †lead contact
DOI: https://doi.org/10.1016/j.celrep.2019.08.030
栄養に柔軟に適応し成長するシステムの解明 -種間の適応能力の差を生む炭水化物応答機構-
Why fruit flies eat practically anything
F1000Prime - Masayoshi Watada, Yusaku Hayashi, Kaori Watanabe, Shoko Mizutani, Ayumi Mure, Yukako Hattori,* Tadashi Uemura.*
Divergence of Drosophila species: longevity and reproduction under different nutrient balances.
Genes to Cells, Sep;25(9):626-636(2020). DOI: https://doi.org/10.1111/gtc.12798 - Maiko Abe, Takumi Kamiyama, Yasushi Izumi, Qingyin Qian, Yuma Yoshihashi, Yousuke Degawa, Kaori Watanabe, Yukako Hattori, Tadashi Uemura, Ryusuke Niwa.
Shortened lifespan induced by a high-glucose diet is associated with intestinal immune dysfunction in Drosophila sechellia.
Journal of Experimental Biology, 225 (21): jeb244423(2022).
DOI: https://doi.org/10.1242/jeb.244423 - 服部佑佳子、モデル生物から非モデル生物へ。実験医学 34巻4号 633 (2016).
- 渡辺佳織、上村匡、服部佑佳子。「種間の栄養環境への適応能力の差を生む炭水化物応答機構」実験医学2月号(2020). https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/book/9784758125284/index.html
- 上村匡、渡辺佳織、服部佑佳子。「モデル生物と非モデル生物との対比で迫る栄養環境への適応機構」 生化学 特集「食・栄養から健康を拓く生化学」93, 67-77 (2021).
- 服部 佑佳子. 炭水化物応答システムから見た栄養環境への適応戦略. アグリバイオ 特集「味覚・食嗜好性研究の最前線」6巻1号, 8-12 (2022).
(2) 宿主機能を支える共生微生物叢の作用機構
動物と共生する微生物は宿主の成長に大きな影響を与えます。しかし、多くの共生微生物種がいる中でどの種が重要な役割を担うかはよくわかっていません。また、共生細菌の役割と比べ、共生酵母の役割については不明な点が多く残されています。そこで、野生のショウジョウバエが共生する微生物叢を解析しました。自然界でショウジョウバエは、酵母や細菌によって発酵した果物を食べていますが、これらの微生物が存在することで幼虫が成長できることが知られています。そこで、発酵した果物から単離した微生物種を様々な組み合わせで無菌の幼虫に与えて、食べた幼虫が蛹まで成長できるかを解析しました。その結果、果物の発酵段階によって異なる微生物種が単独、あるいは協力しながら幼虫の成長に中心的な役割を担うことを突き止めました。さらに、特定の酵母種による栄養素供給機構の一端を明らかにしました(Mure et al., eLife, 2023)。今後,宿主の遺伝的な背景や発生段階の違いと共生微生物叢との関係や、酵母を含めた共生微生物叢が宿主体内で機能する分子機序などに着目し、動物に共通する普遍的な微生物叢作用機構を理解していくことを目指しています。
本研究は、現在、JST創発的研究支援事業と科研費基盤Cの支援を頂いて進めています。
主要な関連業績
- Ayumi Mure, Yuki Sugiura, Rae Maeda, Kohei Honda, Nozomu Sakurai, Yuuki Takahashi Masayoshi Watada, Toshihiko Katoh, Aina Gotoh, Yasuhiro Gotoh, Itsuki Taniguchi, Keiji Nakamura, Tetsuya Hayashi, Takane Katayama, Tadashi Uemura, and Yukako Hattori.* Identification of core yeast species and microbe-microbe interactions impacting larval growth of Drosophila in the wild. eLife (2023) 12:RP90148.
DOI: https://doi.org/10.7554/eLife.90148.3. (2023).
自然界で動物の成長を支える共生微生物叢―中心的な役割を担う共生酵母・細菌の同定― - 服部 佑佳子. ショウジョウバエと共生微生物叢.
生物工学会誌 バイオミディア. 第102巻第4号, 181 (2024)
(3) 栄養環境に応じた神経突起の発達を調節する機構の解析
動物が成長期に摂取する栄養は、器官の形成に大きな影響を与えます。しかし、どのような栄養素が、神経細胞の成長にどのような影響を与えるかについてはほとんど分かっていません。そこで、この問いに取り組むため、低栄養条件下でのショウジョウバエ幼虫の感覚神経細胞を用いて研究を行いました。その結果、ビタミンB群・ミネラル・コレステロールの複合的な不足に応じて、筋肉からシグナル伝達タンパク質Wingless(Wg)が分泌され、Wgが神経細胞に作用することで神経突起の分岐・伸長を促進することを明らかにしました(Kanaoka et al., eLife, 2023; Watanabe et al., Genes to Cell, 2017)。すなわち、個体の成長にとって不利な低栄養条件において、感覚神経細胞は逆に成長する仕組みを備えていることがわかりました。さらに、本研究で見出した低栄養条件下において神経細胞を成長させる機構は、個体の生存を危うくする環境刺激に暴露されるリスクをいとわずに、食物の探索行動を続けることに寄与している可能性が示唆されました。本研究で機能を明らかにしたタンパク質は、我々哺乳動物を含む広範な種が共通して持っています。本研究の成果は、今後、他の動物種における栄養と神経発達を結ぶ分子メカニズムを解明する足がかりとなることが期待されます。この解析にあたっては、表現型を解析するため、非常に多数の条件での神経突起末端の定量が必要でした。そこで、機械学習により神経突起末端を自動認識する画像解析ソフトウェアの開発も行いました(Kanaoka et al., Genes to Cell, 2019)。
主要な関連業績
- Yasutetsu Kanaoka, Koun Onodera, Kaori Watanabe, Yusaku Hayashi, Tadao Usui, Tadashi Uemura,* Yukako Hattori.* Inter-organ Wingless/Ror/Akt signaling regulates nutrient-dependent hyperarborization of somatosensory neurons. eLife, Jan 17;12:e79461. DOI: https://doi.org/10.7554/eLife.79461. (2023).
低栄養なのに神経細胞は成長する?―栄養に応じて分岐を制御する神経−筋肉連関―
Fruit flies grow brainy on a poor diet - Yasutetsu Kanaoka,# Henrik Skibbe,# Yusaku Hayashi, Tadashi Uemura,* Yukako Hattori.*
DeTerm: Software for automatic detection of neuronal dendritic branch terminals via an artificial neural network. Genes to Cells, Jul;24(7):464-472 (2019).
DOI: https://doi.org/10.1111/gtc.12700
*corresponding author , #equal contribution. - Kaori Watanabe,# Yuki Furumizo,# Tadao Usui, Yukako Hattori,* and Tadashi Uemura.*
Nutrient-dependent increased dendritic arborization of somatosensory neurons
Genes to Cells, 22(1) 105-114 (2017).
DOI: https://doi.org/10.1111/gtc.12451
*corresponding author , #equal contribution.
現在とこれまでに受けた研究助成
- JST創発的研究支援事業
「個体成長を支える宿主微生物叢代謝ネットワークの解明」
令和3〜9年度 - 学術変革領域研究(A)(計画研究)
「栄養環境に応じた個体成長や生殖機能を司るエピコードの解読」
令和6~10年度 - 科研費 基盤研究(C)
「個体成長と生殖における栄養環境適応の種間差を生むヘテロクロマチン制御機構の解明」
令和6〜8年度 - 科研費 新学術領域研究 (研究領域提案型)
遺伝子制御の基盤となるクロマチンポテンシャル (公募研究)
「栄養環境に応じた個体成長および生殖機能を支えるクロマチン制御機構の解明」
令和3〜4年度 - 科研費 基盤研究(C)
「共生酵母・細菌由来代謝産物による宿主成長の分子機構解明」
令和3〜6年度 - 日本応用酵素協会 成人病の病因・病態の解明に関する研究助成 (TMFC)
「栄養への応答と代謝恒常性を支える全身性およびエピジェネティック制御機構の解明」
令和2年度〜令和5年度 - 科研費 若手研究(B)
「栄養バランス変化への適応能力を支える全身性シグナリングの解明」
平成29〜30年度 - 内藤記念女性研究者研究助成金
「ショウジョウバエ近縁種を用いた食餌依存的な生体応答の比較ゲノミクス」
平成27〜29年度 - 科研費 若手研究(B)
「栄養バランス変化に適応する生体システムの解明」
平成27〜28年度 - 笹川科学研究助成
「食餌依存的な生体応答システムの近縁種間比較解析」
平成27年度 - 特別研究員奨励費(DC1)
「樹状突起パターンの多様性を生み出す転写調節システムの解明」
平成20〜22年度
受賞歴
- 令和6年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞(文部科学省、2024.4.17)
- 第12回京都大学たちばな賞(優秀女性研究者賞)奨励賞(京都大学、2020.3.3.)
- 平成27年度笹川科学研究奨励賞(公益財団法人 日本科学協会、2016.4.13.)
- 第31回井上研究奨励賞(公益財団法人 井上科学振興財団、2015. 2.4.)
- Outstanding Oral Presentation Award Kyoto University the 9th International Student Seminar(2011.3.8.)