背景

個々の生物は、多様な生存戦略をとっています。たとえば、食性や生息域といった、個体が生存する上で基盤となる環境も、種によって大きく異なります。さらには、生物の成長や個体機能は、共生する様々な微生物の影響も受けます。しかし、これまでの分子生物学では、実験室での単一環境下における限られたモデル生物種が対象とされており、生存戦略の多様性や自然界での生物種間関係については目を向けられていませんでした。私達は、近年発達してきたマルチオミクス技術を活用して、非モデル生物種や野外採取したサンプルを用いた解析も行うことで、栄養環境への適応機構や、宿主機能を支える共生微生物の作用機構の解明を目指しています。

現在の研究課題

1) 宿主機能を支える共生微生物叢の作用機構

動物と共生する微生物叢は、宿主の生理機能に様々な役割を果たし、そのひとつは、動物の成長を支える代謝産物(栄養素)の供給です。しかし、多数の共生微生物種のうち、どの種がどのような代謝産物を介して宿主成長を支えているかについては、依然として不明な点が多く残されています。そこで、私たちは、ショウジョウバエが自然界で共生する酵母や細菌に注目しています。これらの共生微生物叢は栄養素の供給源として、幼虫の成長に必須の役割を担っています。現段階で、ショウジョウバエ幼虫が野外で食べる餌を採取し、そこから単離した酵母・細菌を様々な組み合わせで混合して無菌幼虫に与える微生物叢再構成系を確立しています。そこで、この系を活用し、宿主と微生物双方のマルチオミクス解析を行うことで、自然界において、宿主と共生微生物との間や微生物種間の相互作用と遺伝子・代謝ネットワークが、宿主の成長や成熟個体機能を支える分子メカニズムの解明を目指します。

2) 栄養環境に応じた個体成長および生殖機能を支える適応機構

後述の種間比較解析(Watanabe et al., Cell Reports, 2019; Watada et al., Genes to Cell, 2020)の結果、ショウジョウバエの広食性種では、高炭水化物食への適応に複数の機構が関与する可能性が示唆されました。そこで、その機構の一つとしてヒストン修飾酵素に着目した解析を進めています。また、栄養適応機構がオスの生殖機能に果たす役割の解析も行っています。

これまでに明らかにしたこと(上村教授との共同研究)

栄養は、生物の成長や生命の維持にとって不可欠であり、何を食べるか、つまり食性は、進化の過程で各生物が周囲の環境と相互作用しながら獲得してきた性質の一つです。この食性の幅の違いから、動物には様々な物を食べる広食性種と、特定の物のみを食べる狭食性種が存在します。しかし、狭食性種の多くは非モデル生物で解析が進んでおらず、これまで生物種間で栄養への適応機構にどのような違いがあるかについては、不明な点が多く残されていました。そこで、食性が異なるショウジョウバエの近縁5種に着目し、遺伝子発現及び代謝産物の網羅的解析によって、異なる栄養バランスへの適応能力と生体応答を比較しました。その結果、広食性種は、餌に含まれる炭水化物の比率に応じて遺伝子発現や代謝を制御する機構(TGF-b/Activinシグナル伝達経路)の働きによって、異なる栄養バランスに柔軟に適応できるのに対し、狭食性種ではこのような機構が機能せず、高炭水化物条件下で成長できないことを明らかにしました(Watanabe et al., Cell Reports, 2019; Watada et al., Genes to Cell, 2020)。

また、栄養環境が神経細胞の発達に与える影響にも着目しています。ショウジョウバエの幼虫が摂取した栄養素(ビタミン・コレステロール・金属イオン)の増減に依存した神経細胞と周囲組織との相互作用が、神経細胞の突起発達を制御することを明らかにしました(Kanaoka et al., eLife, 2023; Watanabe et al., Genes to Cell, 2017)。この解析にあたっては、機械学習により神経突起末端を自動認識する画像解析ソフトウェアの開発も行いました(Kanaoka et al., Genes to Cell, 2019)。