痛覚多様性からのアプローチ
背景
動物は、生息環境に潜む様々な危険を察知し、巧妙に逃避行動をとることで生存を図ります。モデル動物であるショウジョウバエ幼虫も、天敵の寄生蜂に襲われると、体を側方に回転させる逃避行動(ローリング行動)を示します。こうした逃避行動は、一見とても定型的に見えますが、じつは様々な遺伝的・環境的要因によって、そのタイミングや頻度が調節されています。しかし、これを司る神経メカニズムは不明でした。
研究手法と成果
逃避行動のタイミングを調節する神経メカニズムを理解するために、多数のショウジョウバエ野生型系統(Drosophilamelanogaster Genetic Reference Panel; Mackay et al., Nature, 2012)の幼虫の逃避行動を比較しました。得られた逃避行動のパターンと強い相関を示す一塩基多型(SNP)をゲノムワイドに探索して、責任遺伝子の候補を多数同定することに成功しています。候補遺伝子群のうち、逃避行動を抑制する新規遺伝子belly roll(bero)に着目して解析を進めています。
bero遺伝子は、GPIアンカー型の膜タンパク質をコードしており、中枢神経系に存在する複数種類の神経ペプチド陽性ニューロンで発現しています。bero陽性ニューロンのうち、腹部ロイコキニン産生ニューロン(ABLKニューロン)で特異的にberoの遺伝子発現を抑制すると、痛覚入力への応答が増大するとともに、逃避行動が増強されることがわかりました。さらに、光遺伝学を利用してABLKニューロン特異的に神経活動を誘導すると、痛覚逃避行動が引き起こされました(Li et al., eLife, 2023)。つまり、ABLKニューロンで発現するBeroタンパク質は、痛覚刺激へのABLKニューロン自身の応答を抑制することで、逃避行動の調節に関与していると考えられます。

現在の研究課題
興味深いことに、ABLKニューロンは痛覚刺激を受ける前から自発的な神経活動を示しており、この自発活動は痛覚入力以外の何らかの感覚情報を反映しているものと推測することができます 。私たちは、「ABLKニューロンは、Beroタンパク質の機能を介して、体内環境要因による痛覚伝導の調節を行なうニューロンである」との仮説を提唱しています。現在、この仮説を検証するとともに、その生理メカニズムを理解するため、さらなる解析を続行中です。
文献
原著論文
Li et al., eLife, 2023, DOI: 10.7554/eLife.83856
プレスリリース
痛みを抑制するタンパク質を発見!―痛覚多様性からのアプローチ―